恭平の日常

3.11。僕の見た石巻。

 

あの大震災から今日で7年。

 

“まだ”7年なのか、”もう”7年なのか。

 

僕は7年前の今日神奈川県にいて、2年前の今日石巻にいました。

 

2011.3.11

大学1年から2年に上がる前の春休み。

 

この日は夕方から地元の友達とボーリングに行く予定で、それまで家で1人映画を見ていた。

 

確か見ていたのは「ルーキーズ」。

 

揺れを感じたとき、一瞬「ドンッ」と突き上げるような感覚があって、気づいたら大きく揺れていた。

 

テレビを置いている身長よりも高いラックとテレビを押さえながら、揺れがおさまるのを待っていた。

 

一旦揺れがおさまりテレビをつけると、どうやら東北で強い地震があったよう。

 

といっても、関東も強い揺れを感じたし、僕も人生で1番の揺れを感じた。

 

とはいえ、「ただの地震だろ」って思い、友達とボーリングをするために街へと向かうと停電の影響で信号は役割を果たさず、街は人で溢れていた。

 

友達との連絡はとれなかったけど、いつものコンビニで全員集まることができ、ボーリング場もやっているというのも聞いたためいつものようにボーリングをした。

 

いつもと違うのは、余震の度にゲームが中断して、ときにはその揺れでピンが倒れるくらい。

 

夜になると、いつもと変わらないような街に戻っていて、ラーメンを食べて帰った。

 

家に帰るとニュースで津波の映像がやっていて、現実なのかどうかの判断ができなかった。

 

さっきまでボーリングをしてラーメンを食べて、いつもと変わらない街(今思うといつもより人が少なかったかもしれないけど)を歩いて帰ってきたのに、テレビで見る現実で大きな地震があって、それが過去ではなくて夢でもなくて、今現実に起こったことだって突きつけられた感覚だった。

 

 

海外でも大きく取り上げられたみたいで、海外旅行に行っていた姉から心配のメールがきた。

 

翌日から街のいたるところで、たくさんの人が募金活動をしていた。

 

自分に何ができるのかわからない僕は、当時していた500円玉貯金をいろんな募金団体の人に託した。

 

そんなことしかできなかった。

 

 

2015.7.28

震災後、初めて東北地方に行くことができた。

 

地震が起きてから4年。

 

行こうと思えばどんなかたちであろうと行くことはできたはずなのに、現実を自分の目で見るのが怖かったからかなんなのか行こうと思っても行動はしなかった。

 

2015年はピースボートで地球一周をした年で、その出発1ヶ月前に東北へ行った。

 

秋田出身の友達の実家へ行ったり、盛岡で椀子そばを食べたり、宮城で友達の親戚が持ってる家に泊まったり。

 

そのなかで、岩手の陸前高田に行った。

 

陸前高田は「奇跡の一本松」がある場所。

 

陸前高田で初めて何も通さずに直接自分の目で見て、言葉が出なかった。

 

何を感じて思って、何を言えばいいのかわからなくなった。

 

 

2016.3.11

震災から5年経った2016年。

 

地球一周から帰ってきてから石巻に行った。

 

イマココ」という石巻の漁村で働いている漁師さんと、そこでお手伝いをしながら生活してみたいという人を繋げてくれるプロジェクトに参加した。

 

僕は福貴浦という村でお世話になった。

 

ここで漁のお手伝いをしながら、ときには一緒にお酒を飲みながら震災当時のことやその後のことについてたくさん話をしてくれた。

 

 

僕が1番覚えているのが原発についてのこと。

 

福貴浦は近くに女川原発がある。

 

「近くに原発があって怖くないですか?」

と話の流れで聞いたら、

 

「この前の事故があったからもちろん怖いけど、そこの電気を使って生活しているからな…」

という答えが返ってきた。

 

このときの漁師さんの複雑な表情が忘れられないし、原発について賛成も反対もできない、そんな立場のひとたちも大勢いるんだなと考えさせられた。

 

そして、3月11日は漁が休みで、宮城県を車で案内してくれた。

 

大川小学校や女川駅など。

 

このときも陸前高田に行ったときと同じで、何を感じて何を思って、どう言葉にすればいいのかわからなかった。

 

2018.3.11

3月11日が近づくたびに自分の目で見た風景と、どう感じればいいのかわからなかった感覚を思い出す。

 

まだまだ問題は山積みで、まだまだ終わらない。

 

なのに、3月11日が近づくと震災や東北のニュースが増えて、また減っていく。

 

まだまだ終わってないのに。

 

人間は忘れて行く生き物だし、風化されていってしまうのも仕方ないのかなって思う。

 

僕だって常日頃から、あのとまどった感覚でモヤモヤしているわけではないし、普通に生活するのだって悩むことも迷うこともある。

 

けど、3月11日が近づくたびにあの日のことを、あのときの風景を、あのときの感覚を思い出し続けたい。

 

陸前高田

お世話になった福貴浦

大川小学校

女川駅

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