南米ペルーにある有名な観光地と言えば「マチュピチュ遺跡」
マチュピチュ遺跡は天空の遺跡として日本でも有名で、人生で1度は訪れたいと思っている人も多いと思います。
今日はそんなマチュピチュ遺跡ではなくて、その麓にある村にスポットをあてて書いていきます。
どこか日本の温泉地を思わすマチュピチュ村。
その秘密には1人の日本人の存在がありました。
なんと、マチュピチュ村の初代村長さんは日本人なんです。
そんなマチュピチュ村の歴史に迫っていきます。
マチュピチュ遺跡の麓は日本の温泉街?!

マチュピチュ遺跡の麓にある村は「マチュピチュ村」と呼ばれています。
正式名称は「アグアス・カリエンテス」
スペイン語で「アグアス」は”水”、「カリエンテス」は”熱い”という意味です。
なので、「アグアス・カリエンテス」は”熱い水”という意味。
勘のいい人はもう気づいたかもしれませんが、この村は温泉が出ている村なんです!
まるで日本の温泉街なマチュピチュ村

温泉のあるマチュピチュ村。
歩いているとどこか日本の雰囲気を感じます。

日本の温泉街のようで京都のようでもあるマチュピチュ村。
この村が日本っぽいのには1人の日本人の影響があります。
マチュピチュ村の初代村長さんは日本人?!
マチュピチュ村の誕生と発展には野内与吉(のうちよきち)さんが関わっています。
野内さんはペルーに移住後、ペルーの国鉄に就職しました。
その後、クスコという街から現在のマチュピチュ村への鉄道建設に関わったことをきっかけに、マチュピチュ村に移住しホテルを開業しました。
この当時はまだ「村」というよりは集落のようなかたちで、野内さんはホテルの1階に村になるために欠かせない交番や郵便局などの施設を入れました。
また野内さんは川から水を引いて畑を作ったり、水力発電を考えたりとマチュピチュ村の基盤をつくりあげていきました。
そしてなんと、マチュピチュ村の温泉は野内さんが木を伐採しているときに湧いたそうです。
温泉まで見つけてしまうくらい村の発展に大きく貢献していた野内さん。
転機は1947年に起きた川の氾濫によって起こった土砂崩れによる大災害です。
この大災害からの復興のために、野内さんがマチュピチュ村の初代村長に任命されました。
このような形で、日本人が村の発展に関わっているからマチュピチュ村は日本の温泉街を感じる雰囲気なのだなとわかりましたでしょうか?
おわりに
どこか日本の雰囲気を感じるマチュピチュ村。
そこには1人の日本人のかたが関わっていて、しかも初代の村長さん。
海外に行くと日本の企業が関わっている建設物などにはよく出会いますが、野内さんのように個人で関わっているのは珍しいケースです。
ただただマチュピチュ村を散歩していても楽しい村ですが、日本人の方が村の発展に関わっていることを知って散歩していると新しい発見があるかもしれません。
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