こんにちは!
イスラム文化大好きなきょーへい(@k_zuma_fmty)です。
ここ数年ニュースでよく聞くイスラム教。
過激化によるテロによってイスラム教は怖いイメージがありますよね?
ただ、調べてみるとそこまで厳しくないゆるい宗教という一面もあります。
中東や東南アジアを中心に、ヨーロッパでもイスラム教の人口が増え続けています。
そして、今後はキリスト教徒の人口を抜いて世界1番多いのがイスラム教徒になる見込みです。
日本でも数年後にはイスラム教徒の人口が増えるかもしれません。
そんなイスラム教についての「怖い」「厳しい」というイメージを変えてみませんか?
イスラム教の基本的な考え方や、僕が感じたイスラムから学ぶべき考え方をまとめました。
難しい話はすっ飛ばして書いています。
完全にイスラムの考え方を把握できるものではないですが「イスラム教って実はそんなに怖くも厳しくもないのかも」って感じていただけたら嬉しいです。
イスラム教はイスラームする宗教
まずは「イスラム教」の名前についてのお話。
そもそも「イスラム」というのはどういう意味なのか。
見出しタイトルにあるように「イスラム教はイスラームする宗教」なんです。
ん???
って感じですよね?
まずは、ここで出てきた「イスラム」と「イスラーム」
この2つの言葉は同じ意味で、より現地の発音に近いのが「イスラーム」です。
そして、イスラームするって何だよって話。
イスラームとは「唯一絶対の神アッラーに全てを預け従うこと」です。
つまり、イスラム教は唯一絶対の神アッラーに全てを預け従う人たちの宗教です。
そして、イスラームする人たちのことをムスリムと呼びます。
たびたびテレビなどで耳にするムスリムという言葉ですが、イスラム教徒とムスリムは同じ人たちを指しています。
ここで気づいた人もいるかもしれませんが、イスラーム(イスラム)は行為のことを言います。
もう一度書きますが、イスラームとは「唯一絶対の神アッラーに全てを預け従うこと」です。
なので、イスラム教という言い方は「頭痛が痛い」のように意味が被ってしまっている言い方なので、最近はイスラム教ではなくイスラームという表現が主流になってきています。
- イスラーム=唯一絶対の神アッラーに全てを預け従うこと。
- つまり、イスラム教はイスラームという行為をする宗教。
イスラム教にはムスリムになるには儀式がない?!
では、ムスリムになるためにはどうしたらいいか。
別にムスリムになってねってわけじゃないから安心してください。
(僕もムスリムじゃないので…)
ムスリムになるために特別な儀式のようなものはありません。
ムスリムになるためにすることはただ一つ。
「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」
と心の底から唱え、唯一神アッラーに全てを委ねその教えに従うことを誓うだけなのです。
キリスト教なんかは教会で洗礼をうけるというのが入信の儀式です(宗派によって違うみたいですが…)
これに比べると、ムスリムは心の底から唱えるだけなのでとても楽。
ムスリムになるためのハードルは低くて、けっこうゆるいかもって思いませんか?
ムスリム(イスラム教徒)になるための特別な儀式はなく、「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」心の底から唱えるだけ。
これでも怖い?イスラム教はとても平等な宗教
「信者たちは兄弟である」(49章10節)
これはイスラームの聖典コーランに記されている言葉です。
民族や国は関係なく、ムスリムは皆平等で預言者ムハンマドも神の前には一人の人間という考え方です。
また、聖職者のような人々に教えを説く存在もいないし、ムスリムがお祈りをする場所「モスク」にも格式などはなく、いわゆる総本山のような存在もありません。
イスラームは神の前では皆平等で、預言者ムハンマドも一人の人間。
他宗教へも寛容なイスラム教
イスラームは神の前では皆平等な宗教ですが、他宗教に対しての考え方はどのようなものなのでしょうか。
イスラム過激派のニュースの影響で、自分たちの考え方と違う人は殺してしまうという残酷さがイメージされるかもしれませんが、これは過激派の一部で本来はまったく異なった考え方です。
「宗教に無理強いがあってはならない」(2章256節)
コーランに記されている通り、イスラームの国ではシズヤという人頭税を払えば信仰も生活も自由です。
また、キリスト教やユダヤ教に関しては、同じ神から啓典を授かった「啓典の民」という考え方です。
わかりやすく言えば兄弟のような感じでしょうか。
”同じ神から啓典を授かった“と書きましたが、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教の3つの宗教が信仰している神は同じ神です。
これについてはオリエンタルラジオのあっちゃんのYouTubeがとてもわかりやすいです。
- 「他宗教への無理強いはあってはならない」とコーランに記されている。
- キリスト教徒、ユダヤ教徒は、同じ神から啓典を授かった啓典の民。
イスラム教の楽なゆるい考え方
イスラームは神と各個人との1対1の宗教ということが言えます。
どういうことかというと、コーランなど神から命じられたものがルールとなり、それを各個人が守るということ。
つまり、人間の行動の基準は神から命じられているかどうかということが大事になります。
この根底には、人間は欲望に弱い存在だから、人間がルールを定めてもどうせすぐに破ってしまうという考え方があります。
イスラームでは、あらゆることに神から下されたルールを示しています。
これが日本人からしたらルールーが多くて厳しいというイメージにつながっているはずです。
しかし、ムスリムからしたらルールの中では自由に欲望を満たしていいと考えます。
そして、善い悪いの判断を神に任せてしまった方が楽だという発想があるみたいです。
ルールの中で生きていくというのは何を信じて何処で生きていこうと同じことで、ルールで禁止されていることに文句を言うのではなくて、「禁止されていること以外は何でもしていい」という考え方は見習う考え方ではないでしょうか。
- イスラームは神から下されたルールの中で生活している。
- ムスリムはルールの中では自由に欲望を満たすことができて、善し悪しは神に任せた方が楽だという考えている。
見習うことの多いイスラム教の考え方
イスラームには”ないもの(守るべきルール)“ではなくて、”あるもの(ルール以外のもの)“に目を向けて自分たちは自由だと考えます。
さらに、ルールを守ればあとは自由で、善いか悪いかも神が判断してくれるから楽だとも考えます。
もちろん、イスラームの中にも宗派というものがあって、解釈のしかたがそれぞれありますが、基本的には同じ考え方です。
日本やそれ以外の国々には憲法や法律などのルールがあって、他にも各個人で判断しなければいけない守るべきことがたくさんあります。
ルール以外のことは自由ですが、そこには責任が伴います。
しかし、イスラームはルール以外のことは本当に自由なんです。
イスラームでは生活レベルまでルールに記されているので、極端に言えばルール以外でやってはいけないことはありません。
辛そうに見える断食も日の入りをすれば皆食事をします。
ムスリムは断食中に食事ができないということよりも、日の入り後は食事をすることができるということを考えます。
つまり、”ない“ことよりも”ある“ことに意識を持っていきます。
イスラームのこの考え方には学ぶことも多いのではないでしょうか。
おわりに
ここ数年のイスラム過激派の影響で、イスラームは怖くて残酷で厳しい宗教だというイメージがあると思います。
ただ、それはほんの一部の人たちだけです。
そして厳しいというのも外から見ていて感じることで、視点を変えるとそんなに厳しくなく、むしろ緩くて楽な宗教だということがわかります。
だからイスラームに改宗しませんか?って話ではなくて、これからムスリムにあったときに「あ、イスラム教徒って怖そうだな」って思わないでほしいです。
日本人は世界的に見ても宗教にとても疎いです。
だからこそ、知らないのにイメージだけで判断するのはよくないと僕は思います。
旅をしていると宗教にふれあう機会が日本にいるときよりも多くなります。
そんなときに、少しでも知っていれば、また違った経験や新しい発見ができるはずです。
なので、少しでも興味があったり、宗教のことは全然わからないけど知っておいた方がいいなと思う人は一緒に勉強していきましょう!
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